今日は私の誕生日だったのですが、都合よくその日が仕事が休みに当たるということは当然そう多くないので、もちろんいつも通りに出勤することになりました。
妻はそのことを知ってくれているので、起きて顔を合わせるとすぐにおめでとうと声をかけてくれましたが、そのことについて別に会話が続くこともなく、朝食を取りながら普通の世間話を少ししてから仕事に出かけました。
出勤した後も、仕事場で同僚から祝福されることもなく、普通の一日が過ぎ去って行ったのですが、別にそのことを寂しいと思うことはありません。
僕だけではなく多くの社会人には、時には一緒に飲みに行ったり、食事をしたりするような親しい同僚がいても、お互いにプライベートに大きく踏み込み合う、親友と言える存在はいないのではないでしょうか。
しかも職場には大勢の人が働いていますし、当然ですが仲良く過ごす場ではなく仕事をするために集まるところなので、いちいち誰かの誕生日を祝うということはないのです。
特別な例外としては、還暦を迎えた人に対してみんなでお祝いをするということはあるのですが、ただ一つ不通に年を取っただけの僕に、そういった例外が当てはまることはもちろんありません。
そもそもこの年になってくると、誕生日という日を、自分自身でうきうきした気持ちで迎えられなくなってきているのも確かです。
なぜならできるだけ年を取りたくない、少しでも若い自分でいたいという願いは、女性だけではなく男性でも持っているものだからです。
子供の頃は、親がケーキを用意してお祝いをしてくれたり、親だけではなく親せきからもちょっとしたプレゼントがもらえたりすることもありました。
そしてただ単に一つ年を取ることにより、大人に少しだけ近づく気がするので、何日も前から楽しみにしていたものです。
でも30歳を過ぎているのに、そんな純粋な気持ちを持ち続けているわけはありません。
とは言え、自分の柄ではないから口に出して言うことはありませんが、一つの区切りの日として、今日から心を新たにしてこれからの一年頑張って行こうという前向きな気持ちになることや、自分を産んでくれた母親に対して感謝の気持ちを持ったりすることもあります。
そういうわけで、別に何てことのない一日として夜を迎えて帰宅したところ、ケーキやプレゼントはなかったものの、妻が普段よりちょっとだけ豪華な夕食を用意してくれていました。
そのことだけでうれしい気持ちになれたので、ありがとうという言葉が僕の口から自然と出てきました。